最強ゴーリー、パトリック我が愛しのPatrick Roy、さようなら。。。2003-05-29 昨日、いつものように遅めのお昼ご飯を食べて、いつものように車に乗り込んで、いつものようにスポーツラジオを聞いていたら、いきなり耳に飛び込んだ、‘パトリックウオー、引退表明’。 まさか、まさかだよね!?半狂乱になり、あわててコロラドの新聞、Avalancheのウェブサイト、全てを見尽くしてわかったことは今日お昼の12時に記者会見する、ということだった。。。 今日の朝11時に目が覚めた。いてもたってもいられない。。。何をしていても、‘あと1時間、あと1時間で記者会見。。。’ 2年前、40歳という歳までスタンレーカップを手にしたことがなかった、レイモンドボークのことを思い出していた。。。。ボストンで20年近くもの月日を過ごした彼は一度もスタンレーカップを手にすることなくコロラドにトレードされた。トレードされたその年にさえ、スタンレーカップを約束することはできず、その次の年にやっと彼は涙にまみれてスタンレーカップを持ち上げる事ができたのだった。そして、その年、彼は涙ながらに引退をしたのだった。。。 そんな彼をパトリックは尊敬していた。レイモンドに比べるとパトリックはかなりの栄光を手にしていた。だからこそ、私は彼はきっとスタンレーカップを手にしてさよならをするんだ、と信じきっていた。 12時5分前、ビデオのセットをして、テレビの前に座り込む。 12時5分過ぎ、パトリックの引退宣言が行われた。レイボークの時と全然違ってはっきりと、涙ぐまず、サバサバと英語とフランス語とで読み上げた。まるで、昨日の試合を解説しているかのように。 その後、長年のつきあいだった、元エージェント、今のAvalancheのジェネラルマネージャーが一言添えた。彼は何度も涙ぐみ、どれほどパトリックを惜しんでいるのかひしひしと伝わって来る。 花束贈呈の後、記者会見が始まった。 私はパトリックの引退宣言でもう涙があふれて止まることをしらないかのように泣き出していた。 彼は2年前のスタンレーカップを手にしたとき、自分のキャリアのなかで最高のものを手にしたと言った。そして、その時点で引退を考えたけれど、自分は挑戦するのが好きだから、もう一年、戦ってみよう、とこの一年のことを述べ、引退は今年のシーズンに入ってすぐ考えていたことだ、とも言った。 引き際を自分で決めること、そして、健康面で引退を考えたことはないと言い切った。その時、また、私は彼を尊敬せずにはいられなかったのだ。憎っきデトロイトのキャプテン、アイザーマンは素晴らしい選手だ。しかし、彼の膝がもうボロボロなのは誰もが知っている。彼も少なくともスタンレーカップを3回は持ち上げている。この先彼が試合を続けることは彼の膝が引退前にぶっつぶれて歩くことさえ不可能かもしれないと言うところまで来ているのに、彼は後1年プレイしたい、と言ったのだ。彼には奥さんも子供もいる。この最後の一年は彼にとっての自殺行為にも思える。それが選手魂と思うのも思いようだが、私はパトリックの言った、‘引き際’に強い印象を受けた。 ‘引き際’を知らないでなんだかだと選手で居続ける選手がどれほど多いか。もちろん、この先NHLから声がかかればパトリックだって、きっとかかわるに違いない。しかし、選手としてカムバックすることはまずないだろう、とこの記者会見は思わせた。 会見中、ひとりの記者が‘レイボークの引退とあなたの引退をどう関連するか?’というような事を聞いた。パトリックはレイは最後の最後に夢を果たせることができ彼も彼の体もその後は引退だということがわかっていたと思う。しかし、自分は光栄にもほぼ全ての夢をNHLで達することができ、後は‘自分の意志’で引退ができる、ということだと言った。‘自分の意志’彼はいつも明快にしていた。最初から、最後まで、‘自分の意志’を貫き通したパトリック。。。。 さらに他の記者が‘あなたは最強の味方であり、他のチームからは最強の敵と思われているが、1対1のブレイクアウェイの時に最強の攻撃選手と恐れた選手の名前をあげてくれ’というものだった。彼は視線をまっすぐ、‘僕に手の負えない選手なんて今までいたことがない。’と言い切った。あの、彼のいつものドライなジョークのひとつだ。このジョークも聞けなくなってしまう。。。この生意気さ、傲慢さ、しかし、彼の前では何も言い返すことはできないのだ。なぜなら、彼こそがNHLの最も偉大なゴールテンダーであることは彼の4つのスタンレーカップ、3つのコンスミストロフィー(プレイオフでのMVP)という、すばらしい記録、数々の最高記録を見る限り、それは疑いの余地もなく、また、この一流な身のこなし、NHLの伝統を重んじた彼に立ち向かうことなど不可能なのだ。まさに、彼はホッケー選手の中のホッケー選手だった。 最後に記者がこう尋ねた。‘一流ゴールテンダーとして以外にみんなにどう覚えていてもらいたいか?’と。 彼はすかさずこういった。‘ホッケーに情熱を持ち続けた男。何事も当然の事だなどと一度も思ったことのない男。そして、勝利者だと。’ 今、ニュースで引退したハシェックが8億という多額な金額でならNHLに戻る可能性がある、と耳にした。そんな選手に比べると、そうだ。まちがいなく、あなたは勝利者です。パトリック。この8年間、コロラドに勝利の味を味わわせてくれてありがとう。情熱とクラッシックとも言える身のこなしを見せてくれてありがとう。これが本当にいう、プロフェッショナルなんだと証明してくれて、ありがとう。 18年にも及ぶ、NHLでのキャリア、4つのスタンレーカップを手にし、彼は去っていった。。。。。 1人間としてのパトリック。 2003-06-11 あんなにサバサバと、しかもあんなに穏やかな表情で引退してしまったパトリック。。。もうどれだけ、何を言ったって彼の意志は変わらない。。。。 私がホッケーにのめり込んだきっかけは本当に他愛ないものからだった。 1997年、当時、私はだんなと彼の兄ちゃんが開店したバーの仕事を手伝っていた。開店してまもなくだったし、私はキッチンの仕事で、誰も食事を頼まないので暇だった。だから、リモートコントロールを持ち遊びながらなにかおもしろい番組はないかと探していた時だった。 たまたま、ホッケーの試合をやっていた。スポーツ、といえば野球くらいしか見なかった私はホッケー=けんかばっかり、流血の惨事、野蛮なゲーム、くらいしか思い付かなかった。(実際、ある意味ではそうなんだけど。。) 私はだんなにルールを聞いてみた。‘あの、白いジャージーが僕たちのチーム。で、緑がダラス。白いほうの選手が、緑の選手のいるほうのネットにあの、黒くてちっちゃいボールみたいなのを入れると点数が1点入るんだ。’ そんな説明で見始めたのがきっかけだった。 ぼんやりと見ているうちに好奇心がわいてきた。凄いスピードで、アイスの上を、あんなに細い木で作られたスティックで、あんなにちっちゃいボール(パックと言うと後で知った。)を追いかけて、ぶつかって、行ったり来たり、凄いなあ。。。しかも、ゴールテンダーはあれだけ早く進むボールを確実に受け止めなくてはいけない。。。どんな反射神経の持ち主だ??? それに...なあんだ、けっこう男前揃いじゃん。。。。(だんなには内緒で。) 真剣に男が立ち向かう時、私はぞっとするほど男に美を感じてしまう。。。しかも、マスクから見えるあのゴールテンダーの目はまるで獲物を狙う如くのような目をしている。。。誰だ?この人は??? それから、ホッケーの好きなお客さん達にいろいろ教えてもらったり、実際の試合も連れて行ってもらったりしているうちにもう誰も私を止めることはできなくなってしまったのだった。しかも、このアバランチェというチーム、実は初めてコロラドに来た年の95ー96年に、コロラドで初めて優勝をもたらした、というではないか。しかも、そんなチームを私は見逃していたことになる。見逃してしまった自分が未だに腹立たしく思うが、そうなると本当に優勝するところを実際、この目で見たくなってしまう。拍車はどんどんかかる一方で96ー97年、むなしくも我がアバランチェはプレイオフファーストラウンドでエドモントンに負けてしまった。。。。 97ー98年のレギュラーシーズンが始まろうとした時、こともあろうか、トレーニングが始まる、トレーニングはただで見れる、しかも、ひょっとするとサインがもらえるかもしれない、なんていう事を耳にしたのだった。 当時、チームはデンバーから約1時間半くらい離れた所でトレーニングをしていた。私はだんなを拝み倒して連れて行ってもらうことにした。 練習が始まった。初めてあんなに近くで見る選手達。私はこんな事を‘ただ’で見れる事に感謝していた。 練習が終わり、早速誰が言ったのかそこにいけばサインがもらえる、と言った場所に走って行った。そこはチームのバスが待っている所だった。練習場から、そのバス停までは柵があったけれど、充分、サインはもらえるらしい。たくさんのファンがもうずらっと並んで待っていた。 私もバス寄りの柵になんとか入ることができた。優しいおばちゃんが、なかなか入り込むことができない私を見て、‘こっちにおいで’とわざわざ譲って下さったのだ。(感謝) 選手が出てきた。もう、みんな大騒ぎ。カマンスキーはりんごをほうばりながらみんなにサインをしていた。ドゥルーリーはまだ新人だった。 私も他に漏れずサインをせっせともらった。 あ、キャプテンのジョーサキックだ。さすがにみんなからサインや写真を頼まれている。でも嫌がるそぶりもせずみんなにきっちりサインをし、写真を撮っていた。 私の番が来た。‘ハイ’と言った。彼は私の顔をちらっと不思議そうに見て‘ハイ’と答えてくれた。誰も彼もジョーに夢中で、‘ハイ’とあいさつする人間が少ないのだろう。。。サインをもらって‘サンキュー’と言ったらにっこり微笑んでくれた。私はもう、失神するかと思った。となりの優しいおばちゃんは‘ほんとに彼はいいキャプテンだね。’と彼の後ろ姿を見て言った。 さてさて、あの、獲物を追うが如くの目をした、ゴールテンダー、パトリックウオーが出てきた。私は他の選手みんなに彼の番号と名前付きのジャージーにサインをしてもらっていた。だからこそ、彼にはなんとしてでもサインをしてもらいたかった。 キャプテン、ジョーサキックと同様、みんなに一生懸命サインをし、冗談を交わし、写真を撮っている。 ドキドキドキドキ。。。私の番が近づいてきた。となりのおばちゃんももうすぐだねえ、なんて言ってくれている。 そんな時だった。 ブッブッブーッ!! バスの運転手がしびれを切らし始めたのだ。それでもパトリックはせっせとサインをしている。 あと3人、あと3人で私の番。 ブッブッブーッ! あと2人、あと、2人だ。 ブッブッブーッ! ‘ごめんっ!もう行かなきゃ。怒られちゃうよ。’ え?え?え?え???????????? 行っちゃうのぉーっ!? 私の番だったのに、次が私の番だったのに。。。 知らず知らずに私は彼の番号と名前付きのジャージーを柵の向こうへと差し出していた。 そうしたら。 バスに乗り込もうとしたパトリックがもう一度、なぜだか、わからない。けれど、振り向いたのだ。 私はそんな彼をじっと見た。きっと悲しい小犬のような顔をしてたんだろうと思う。 パトリックは頭を振りながら‘あああ、オーケィ。ごめんね、できないわけじゃなかったんだよ。’とわざわざ、入りかけたバスからでてきて私のジャージーにサインをしてくれたのだ。 私はひたすら‘サンキュー’ばっかり言って、彼は‘じゃ、もうバスに乗ってもいいかな?’と冗談を言って手を振ってくれた。。。。 となりのおばちゃんと肩を叩きながら喜んだ。まさか、戻ってきてくれるだなんて、誰が思ったことだろう!? 個人的かもしれないけれど、大物の中の大物が、こうした繊細な心を持ってファンに接する人間がどれほどいるのだろう? それを考えた時、違った意味でホッケーという伝統のあるゲームを重んじ恥じないような行動をとろうとする選手を尊敬せずにはいられないのだった。。。。。 パトリックのジャージー引退式。 2003-11-02 有り難いことにだんなのバーがよく流行ってくれているのでコネが効くようになってきた。と、いうのも、今回、一ヶ月前からわかってた、この日のためにだんなが取引先のバドワイザーの社長様に頼み込んでチケットを確保してくれたのだ。もちろん、アバランチのゲームなのだけど、今回は我が愛するパトリックワーのジャージー引退式。どうしても、見たい。これが最後に見れるパトリックなのだから。バドワイザーということあって、席はもちろん特別席で、関係者のみが入れるボックスシート。(だんなさま、本当にありがとうっ!)その小部屋に入って、とりあえず、バドワイザー関係の人達に挨拶をしたのだけれど、しょっぱなから‘彼女はアバランチのファンだね’と言われてしまった。というのも、この日はもちろんアバランチ武装(?)アバランチのイヤリング、ネックレス、ブレスレットから始まって、もちろんパトリックワーの番号付きジャージー、しかも彼のサイン付き。靴下までもがアバランチなもので、だんなも苦笑いをしていた。‘ビールもホットドッグもスナックもご用意しておりますのでご自由にどうぞ。’と言われ、‘ただ’で飲めるビールとホットドッグに感謝しつつ、(だって買うと10ドル、20ドルなんてあっと言う間だもぉん。)しかも、この日のパンフレットまで‘ただ’で頂くことに。(パンフレットも買うと5ドルだというのに。)感動しまくりながらボックス最前席にどっしりと腰をおろし、練習を見る。みんな、アバランチの選手はパトリックを称えて33の背番号をつけて登場。もう、それを見るだけで涙がでた。この8年間、ずっと、ずっと見続けた背番号をつける人はもういない。彼の存在は本当に大きかった。3年間、パトリックのバックアップを努めたアビシャーは今日何を思っているんだろう?そんなことを思いながらスケートを走らせる彼らを眺めていた。 試合はいつもより30分遅く、7時半からだった。選手の紹介が終わり、いつもならアメリカの国歌だけなのに、この日はカナダの国歌も歌われた。(パトリックはカナダ人。)そして、照明が消え、ビデオでパトリックの子供時代の写真や、モントリオール時代、そして、アバランチでの活躍の数々を映していった。‘ああ、このセーブ、覚えてるよ、あ、この時のセーブも。’自分でも不思議なくらい彼のセーブを覚えていた。サーチャックの記録を破ったキャリアレギュラーシーズン448勝の時、アナウンサーが‘パトリックシザーハンド’って言ったっけ。それからダラス戦で1000試合突破したのはつい最近の事だった。あの試合も見に行って、みんなで‘おめでとう’の声を上げたんだ。NHLで初めて3つのコンスマイストロフィーを取ったのも彼だけだった。そしてスタンレーカップを手にした彼の姿がビデオに映し出された時、いつものアナウンサーが彼の名を呼んだ。‘パトリック、ワー!!!!’ 大喝采だった。みんな、彼の名前を叫んでいた。私は涙が止まらなかった。彼が奥さんと3人の子供を連れて歩きながら軽く手を振った。 ジェネラルマネージャーのピエールラクワァとオーナーの感謝の言葉が終え、やっとパトリックがマイクの前に立った。またもやアリーナに響き渡るような大喝采。‘ROY!ROY!ROY!’みんな、あなたのことが大好きだったんですよ。夢と希望と2度のスタンレーカップを、コロラドに与えてくれてありがとう。パトリックはしばらく会場を眺め、みんなに手を振って演説を始めた。いつもながら、彼の言葉は簡潔であっさりとしていた。‘今でも、僕のワイフと、子供達を乗せた車を走らせながらナーバスだったあの日のことを鮮明に覚えている。英語にも自信がなく、新しいこの土地で、期待されている事に充分この自分が答えられることができるのだろうか、と考えていた。’ファンはみんなまた大喝采を始めた。‘もちろんだよ’と言うかのように。こんなにも数々のトロフィーと記録を作ったというのに、ナーバスになってただなんて。‘全力で、すべてを出し切っての引退だった。ホッケーに対する敬意と情熱がここまで導いてくれたんだ。ファンのみんな、君たちこそがコロラドにいた、この8年間を忘れられないものにしてくれたんだよ、心の底から、ありがとう。’ ホッケーに対する敬意と情熱。 引退表明した時もそうだった。彼の言葉はいつだって本物だった。私はこの8年間、こんな素晴らしい選手を見ることができて、なんて幸せだったんだろう。あふれる涙はぬぐっても、ぬぐっても止まることを知らなかった。 ‘そうそう、僕のルームメイト、特別英語教師、フーター(アダムフット)たくさん学んだよ、ありがとう。’フットは照れくさそうに手を振った。観客はまたもや‘ROY,ROY、ROY’と叫びアバランチの選手も、相手チームカリグリーの選手もスティックを鳴らし、彼のジャージーは高々と掲げあげられた。大親友のレイボークのジャージーの隣に。 もちろん、試合はアバランチの勝ち。アビシャー君、よくがんばったね。 ジャンル別一覧
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